広島で私の価値観が壊された日:一枚の写真が変えた、あるIT企業経営者の告白

博物館で、スーツ姿の女性が被爆後の広島を写した白黒写真を涙を浮かべて見つめている。「広島で価値観が壊された日」という文字が入っている。 太平洋戦争

佐々木優です。

今回は、広島原爆についての体験を語った、あるyoutyube動画を見た私が感じたことについて書かせてください。

動画を見た後…正直、何から話していいかわからないくらい、心がグチャグチャになってます。

実は先月、広島に行ったんです。本当は福岡の取引先との会議のついでに、軽い気持ちで寄っただけだったんですけど。平和記念館も「まあ、一度は見ておかないと」程度の気持ちで。

でも、そこで見た一枚の写真が、私の中の何かを完全に壊してしまった。

広島原爆については

ヒロシマの誓い:未来へつなぐ平和のバトン | LimiBreak
「ヒロシマ」の記憶を胸に、平和への誓いを 1945年8月6日、午前8時15分。 広島に投下された一発の原子爆弾は、この世の光と音を奪い、人々の生活を、そして命を一瞬にして消し去りました。その日、約7万~8万人もの尊い命が失われ、その年の終わ

をご覧ください。

あの写真を見た瞬間

松重義人さんという新聞カメラマンが撮った写真。御幸橋で撮られた、被爆者の人たちが写った写真でした。

最初は「歴史的資料なんだな」って思って見てたんです。でも、じっと見てるうちに、写ってる人たちの顔が…一人一人の表情が、急に現実として迫ってきた。

特に、坊主頭の男の子。後でわかったことだけど、アキラって名前で、家に帰ろうとしてたんですって。でも結局、帰れなかった。

その子の顔を見てたら、なんか急に涙が出てきて。周りに他の見学者もいるのに、全然止まらなくて。恥ずかしかったけど、どうしようもなかった。

なんでこんなに泣いてるんだろうって、自分でも不思議でした。でも後で気づいたんです。あの子の年齢が、私の従兄弟と同じくらいだったから。

私の従兄弟の話

うちの従兄弟、今中学2年生なんですけど、すごく頭がよくて、将来はゲームクリエイターになりたいって言ってるんです。この前の家族の集まりでも、「優姉ちゃんの会社でバイトさせて」って冗談で言ってきて。

でも1945年だったら、あの子も学徒動員で建物の解体作業とかやらされてたんですよね。ゲームのことなんか考える暇もなく、毎日危険な作業をして。

そう考えたら、もう頭の中がぐちゃぐちゃになっちゃって。

アキラ君も、きっと何か好きなことがあったはず。友だちとふざけあったり、お母さんに甘えたり。普通の13歳の男の子だったのに。

13歳で働かされてた河内光子さん

河内光子さんの証言も読みました。13歳で郵便貯金銀行で働いてたって。

私が13歳の時なんて、本当に何も考えてなかった。友だちとプリクラ撮って、好きなアイドルの話して、宿題やだなーって思って。平和そのものでした。

でも河内さんは13歳で働いて、そして突然ガラスの破片で大怪我して。御幸橋で見たのは、「人間には見えない」ような人たち。黒焦げの赤ちゃんを抱いて「起きて!」って叫んでるお母さん

読んでて、本当に気持ち悪くなりました。いや、河内さんの証言が気持ち悪いんじゃなくて、そんな現実があったことが。

坪井直さんの「坪井はここで死にます」

坪井直さんの話で一番ショックだったのは、石に

「坪井はここで死にます」

って刻んだってところ。

20歳ですよ?私の会社にも20歳の子がいるけど、まだまだ子どもっぽいところがあって、「将来何したいかわからない」って悩んでる。そんな年齢で、一人で死を覚悟するなんて。

しかも坪井さん、その後ちゃんと生きてて、平和活動をずっと続けてたんですよね。すごいなって思う反面、どんな気持ちで毎日過ごしてたんだろうって。

私なんて、会社の売上が少し下がっただけでクヨクヨしちゃうのに。

技術者として感じる怖さ

IT企業やってると、技術の進歩の速さにはいつも驚かされます。AIの発達も本当にすごくて、この前も社内で「人間の仕事がどんどんなくなっちゃうね」なんて冗談で話してました。

でも原爆って、当時の最先端技術の結集だったんですよね。総工費20億ドル、14万人が関わって。みんな「これで戦争が終わる」って思って作ってたのかもしれない。

技術者として、これはすごく怖いことです。自分が作ってるシステムが、将来どう使われるかなんて、完全にはコントロールできない。

うちの会社でも、セキュリティシステム作ってるんですけど、「これが監視社会につながったらどうしよう」って考えることがあります。でも、そんなレベルじゃない恐ろしさが原爆にはある。

差別の話を聞いて思ったこと

被爆者の人たちが、その後も差別されてたって話、本当に腹が立ちました。

被害者なのに「怪物を産む」とか「不妊症」とか言われて。子どもや孫にまで影響があるからって、ずっと黙ってた人が多いんですって。

私の会社でも、ダイバーシティとかインクルージョンとか言ってるけど、まだまだ表面的な気がします。本当に困ってる人、声を上げられない人のことを、どれだけ考えられてるか。

被爆者の人たちみたいに、社会から理不尽に排除されてる人が、今もきっといるんだろうなって。

優

差別だけは絶対に行ってはいけない

松重さんのカメラマンとしての決断

松重義人さんのことを調べてるうちに、すごく印象に残ったエピソードがあります。

最初、街の中心部に向かおうとしたけど、あまりのひどさにシャッターが押せなくて、20分も立ち尽くしてたって。涙でファインダーが曇って。

でも結局、御幸橋で2枚の写真を撮った。当時は違法行為だったのに。

私だったらどうしただろう。怖くて逃げちゃったかもしれない。でも松重さんは、これを記録に残さなきゃって思ったんですよね。

その写真があるから、私たちは今、あの日のことを知ることができる。松重さんの勇気がなかったら、もっと多くのことが忘れられてしまってたかもしれません。

ABCCの話にモヤモヤ

原爆傷害調査委員会(ABCC)の話も、読んでてすごくモヤモヤしました。

広島の人々のための医療」って名目で、実際は研究のために情報収集してたって。河内さんのお父さんも解剖されて、ホルマリン漬けにされてた。

これって、完全に人体実験じゃないですか。しかも被害者に対して。

情報の隠蔽もひどい。原子力の平和利用を進めたいから、被害の実態を隠したって。企業経営者として、情報の透明性がどれだけ大切か日頃から感じてるんですけど、こういう隠蔽は本当に許せません。

被害者の人権を完全に無視してる。アメリカだって、自分たちがやったことの責任は取るべきだと思います。

竹内五郎さんの「軍人優先」の話

竹内五郎さんの証言で、避難が軍人優先で、女性や子どもは後回しにされたって話も、すごく考えさせられました。

燃え盛る街に一人戻っていった小さな女の子の悲鳴が、

今でも耳に残ってるって。

組織の「優先順位」について、私も経営者として日々考えてます。でも、命の優先順位なんてあってはいけない。特に、子どもの命を後回しにするなんて。

でも、今の社会だってそうかもしれません。災害の時、本当に平等に助けられてるか。経済力や社会的地位で、実質的な優先順位ができちゃってないか。

私が変わったこと

広島から帰ってきてから、私、けっこう変わったと思います。

まず、毎朝8時15分になると、必ず手を止めるようにしました。広島では今でも毎日平和の鐘が鳴るんですって。東京にいても、その時間には黙祷するようになりました。

それから、うちの会社のシステム開発でも、「これが悪用される可能性はないか」をもっと真剣に考えるようになりました。技術に携わる者として、責任があると思うから。

社内のミーティングでも、「効率」「利益」ばっかり言ってた自分を反省してます。もちろん経営者だから結果は大事だけど、その前に「人間らしさ」を大切にしたい。

従兄弟に話したこと

リビングのソファに座る母親と十代の息子。母親は話しているが、息子はうつむいている。思春期の親子間の真剣な会話の場面。
思春期の息子との、少し難しい会話。将来のこと、学校のこと…心配する母の想いと、息子の物憂げな表情が対照的です。AIが描いたイメージです。

この前の家族の集まりで、例の従兄弟に広島の話をしました。

「ゲームクリエイターになりたい」って言ってた子に、「戦争中だったら、君みたいな子が一番先に危険な作業をやらされてたんだよ」って。

最初は「えー、そうなの?」みたいな感じで聞いてたけど、アキラ君の話をしたら、急に真剣な顔になりました。

優姉ちゃん、僕だったらどうなってたと思う?」って聞かれて、答えに詰まっちゃいました。多分、アキラ君と同じだったんじゃないかなって。

でも同時に思ったんです。この子が今、平和に将来の夢を語れることの奇跡を。

坪井さんの「生まれ変わった場所」

坪井直さんが御幸橋のことを「残りの人生が始まった場所」「生まれ変わったような場所」って言ってたのが、すごく印象に残ってます。

あんなひどい体験をした場所なのに、そこから新しい人生が始まったって。私には、そんなふうに考えられる強さがあるかわからない。

でも確かに、私にとっても広島は「生まれ変わった場所」になったかもしれません。あの写真を見るまでの私と、見た後の私は、明らかに違う人間になった気がします。

竹内さんの言葉に背中を押されて

竹内五郎さんが

「私たちが死んだ後、それを語り継ぐ人は誰もいなくなる。生きている限り、できることは何でもしなければならない」

って言ってた言葉に、すごく背中を押されました。

私みたいな若い世代が、この記憶を受け継がないといけない。でも、どうやって?

とりあえず、今日こうして文章を書いてるのも、その一つかなって思います。完璧じゃないし、まとまってないけど、私が感じたことを正直に書きました。

最後に―私たちにできること

被爆者の人たちが体験した苦しみは、私には想像しきれません。でも、その人たちが命をかけて伝えようとしてくれたメッセージを、私たちは受け取らなければいけない。

技術は使い方次第。私たちIT業界の人間は、特にそのことを忘れちゃいけないと思います。便利さや効率だけじゃなく、人間の尊厳を大切にする技術を作っていきたい。

新社会人のみなさんも、どの業界にいても、この歴史を知っておいてほしい。そして、今の平和がどれだけ奇跡的なものか、感じてほしいです。

私もまだまだ勉強不足だし、できることは限られてます。でも、少しずつでも、平和な社会を作るために何かしていきたい。

まずは、毎朝8時15分の黙祷から。小さなことだけど、続けていこうと思います。


P.S. 長くてまとまりのない文章になっちゃいました。でも、これが今の私の正直な気持ちです。読んでくれて、ありがとうございました。

今回、参考にさせていただいた動画です。お時間の許す限り見ていただけたら幸いに思います。

筆:佐々木 優

佐々木 優 プロフ😊 | LimiBreak
自己紹介 名前 佐々木 優 札幌市在住。9年前に会社ごと札幌市へ引越して参りました。北国、札幌の魅力に取り憑かれ、日々精進しています。 誕生日 ※※※※年6月24日 年齢 3※ 住所 非公開 身長 170cm 体重 非公開 スリーサイズ 内

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LimiBreak | 「若いチカラ、限界突破。」 女性が創る、新しいコンテンツの波。
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