ねぇ、みんな。ちょっといいかな。
ん?時間がない?
そういう時は音声配信を聞いてね。
新社会人研修も終わって、いよいよ現場って感じで、今、頭の中は覚えることだらけだと思う。私もそうだったな、31歳の社長なんて言っても、ほんの10年前はみんなと同じだった。
今日は、業務マニュアルには載ってない、多分、人生の何の役にも立たないかもしれない話を、少しだけさせて。
私、去年のお盆に、ふらっと一人で長崎に行ってきたんだ。
なんでって言われると、明確な理由はないんだけど…なんとなく、かな。東京の暑さから逃げたかったのと、ちゃんぽん食べたかったのと。そんな軽い気持ち。
で、行っちゃったんだよね。原爆資料館。
正直、なめてた。修学旅行の延長くらいに思ってた。でも、全然違った。
入ってすぐのところに、ぐにゃぐにゃに溶けたビンの瓶とか、黒焦げの…なんだっけな、お弁当箱だったかな、が置いてあって。その瞬間に、空気が変わった。息ができなくなる感じ。
わかるかな、この感じ。昨日までそこにあった「日常」が、ある瞬間に、意味の分からない暴力でぐちゃぐちゃにされる感じ。私が今やってる仕事、みんながこれからやる仕事って、突き詰めれば誰かの「日常」を便利にしたり、楽しくしたりするためじゃん? それが、テクノロジーの、人間の知性の、一番最悪な形で全部ひっくり返されるって、どういうことなんだろうって。
しばらく動けなくて、壁に貼ってある写真を見てた。正直、目を背けたくなるような写真ばっかり。でも、見ちゃったんだよね。見ちゃったらもう、忘れられない。
そもそもさ、なんで長崎だったの?って思わない?
これ、本当に信じられないんだけど、もともとの一番の目標は小倉、今の北九州市だったんだって。でも、その日、小倉の上空は曇ってて、爆弾を落とす場所がよく見えなかった。だから、「じゃあ、次の候補に行こう」って。
……マジで?って声出たよ、心の中で。
天気のせいで、行き先が変わる。それで、街が一つ消える。何万人も死ぬ。
私たちの仕事でもさ、AプランがダメならBプランって、当たり前にやるじゃない。でも、そのBプランが、こんな結末に繋がるなんて、誰が想像した? 運命の悪戯とか、そういう綺麗な言葉で片付けちゃいけない、人間の判断の怖さを感じたな。
長崎って、山に囲まれた街でしょ。
そのせいで、爆発のエネルギーが谷間にぎゅーって圧縮されて、被害がとんでもないことになったエリアがあるんだって。浦上地区。
そこにあった、東洋一きれいだって言われてた浦上天主堂も、一瞬でガレキの山。今は、そのガレキの一部だった鐘楼が、公園にぽつんと置かれてる。それを見た時、怒りとか悲しみとか、そういうの通り越して、ただただ虚しかった。美しいものが、人の祈りが集まる場所が、こんなにあっけなく壊される理不尽さに、言葉が出なかった。
でもさ、そんな中で、信じられないくらい強い人もいたんだよ。
永井隆さんっていうお医者さん。
自分も被爆して、白血病っていう重い病気だったのに、ボロボロの体で他のけが人の手当てを続けたんだって。もう動けなくなってからも、寝たきりの状態で本を書いて、原爆のことを、命のことを、伝えようとした。確か『この子を残して』とか…そんなタイトルの本だったと思う。自分の死期が近いのに、残していく子供たちのことを想って書いた文章。…今の私には、想像もできない。絶望のど真ん中で、どうして人はそんなに強くなれるんだろう。
あと、これは長崎の街を歩いてて見つけたんだけど。
一本の柱だけで立ってる鳥居があるの。山王神社の、二の鳥居。
爆風でもう片方は吹き飛んだのに、片方だけ、奇跡的に残ってる。
それを見た時、なんだか泣きそうになっちゃって。
倒れそうで、でも、絶対に倒れないぞって空に向かって立ってるみたいで。ボロボロになっても、全部失っても、それでも残るもの、立ち続けるものってあるんだなって。その姿に、なぜかすごく勇気をもらったんだ。
…ごめん。熱くなっちゃった。
もちろん、こんな話をする時に、当時の日本が全て正しかったなんて言うつもりは全くない。アジアの国々にしたことを考えれば、加害者だったっていう側面から絶対に目をそらしちゃいけない。それは大前提。
でも、でもさ。
理由が何であれ、空から爆弾が降ってきて、昨日まで笑ってた隣の人が一瞬で消えるなんてことが、あっていいわけないじゃん。
「戦争を終わらせるためだった」って言う人もいるけど、じゃあ、そのために、あの黒焦げのお弁当箱の持ち主は死ななきゃいけなかったの?って。私には、どうしても「はい、そうです」なんて言えない。
…何が言いたいかっていうとさ。
みんながこれから社会に出て働いていく中で、多分、いっぱい理不尽なことに出会うと思う。なんで私がこんな目に、とか、どうしてこんなことが起きるんだ、とか。
その時、思考停止しないでほしいんだ。
「そういうもんだから」って諦めないで、なんで?って考え続けてほしい。
そして、時々でいいから、自分が作ってるサービスやシステムが、その先にいる誰かの「日常」に繋がってるってこと、思い出してみて。
私たちの仕事は、誰かの昨日よりちょっといい今日とか、今日よりちょっと明るい明日を作るためのものだって、信じたいから。
長崎のあの鳥居みたいに、どんな理不尽な風が吹いても、自分の足で、自分の意志で、ちゃんと立ち続けられる大人に、私も、みんなも、なれたらいいな、って。
…なんてね。柄にもないこと言っちゃった。
ごめんごめん、長い話に付き合わせちゃって。
さ、仕事戻ろっか!今日のランチ、何にする?
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